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びっきのようにノシノシゆっくりと歩む日々の雑記

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2020-01-17 (Fri)  23:00

菓子折

毎年1月17日に何か書こうとして~書いて~書いて~
う~ん・・う~ん・・・何か違う~と悩んで~、結局「下書き」のままアップしない事が数年続いている。

何が“違う”のか
・・・・・・・・何だか“嘘くさい”のだ。

本人が嘘くさく感じるんだから、他人様はもっと「嘘クセ~」と思うだろう。
う~ん・・う~ん・・・
あの時、感じたことが薄ボンヤリしていて、まとめられない(-_-)

“薄ボンヤリ”
記憶が薄くなったという訳ではなく、何というかモヤモヤして、上手く言葉に出来ない。


あの日あの時。
関西方面には友人知人が数人いた。

“方面”と一括りなことで察せられると思うが、土地勘がないため、友人の住まいが果たして近いのか遠いのか、実際に被害がある所なのかすら判らず、ただTV画面を見ながら呆然としていた。
大丈夫かな・・・・と心配したけど、ただ呆然としていただけだった。



東日本大震災、の後

2ヶ月くらい後のことだったかと記憶しているが・・・・定かでない。
 ちゃんと記録つけとけば良かったな~それどこじゃなかったケド(>_<)

ウチの周りは、だいぶ電気や水道が復旧し、毎日の御飯の心配はなくなった・・頃。
ガソリンスタンドにも並べるようになり、
集荷も配達も制限のあった郵便屋サンが通常に戻りつつあった・・頃。

ある日、
母あてに洒落た包みの洋菓子の詰め合わせが届いた。
送り主は、母の古い友人で、神戸在住の人だった。

中の熨斗紙に「元気でね」と手書きで一言。

毎日の御飯には困らなくなったけど、
なぜか甘い物がバカに売れていたこの頃。

なるほど、被災したことのある人は違うわねぇ。
母は、洋菓子の街から来たそのお洒落な菓子を持って、いそいそと近所の茶飲み友達の所へ行ったのだった。


そうそう。
被災後、配給や自販機の飲料が売れて無くなる順番があった。

 災害の直後は、即効でが無くなり、

 次に、お茶類が・・緑茶・ウーロン茶・・無糖のものから無くなり、

 水道の復旧が進み、少し落ち着いて来たら コーヒー・紅茶類が無くなり、

 最後に甘いジュース類・・・・だった。
 それもオレンジやリンゴジュース等の果汁多めが先に売れ、炭酸飲料なんかは最後。

どこの自販機も同じ。

直後は、ただひたすら生きていくための水を欲し、
水が手に入るようになると、ホッとするような嗜好品が欲しくなる。
しばらくすると甘い物が無性に欲しくなる・・時期がある。

普段コーヒーをブラックで飲んでいた見た目いかつい職場の上司が、イチゴオーレ缶なんて持っていてビックリしたもんだった(^^;)



さて、
ご近所さんとのお喋りのアテにお菓子を食べつくして箱がすっかり空になっても、
母は空き箱を捨てきれずにいた。


それからしばらくして・・・・記憶が定かではないが、半年くらいがたっていたと思う、
また母あてに菓子包みが届いた。

前と同じ、洋菓子の詰め合わせ。
前と同じ「元気でね」の熨斗。

母は、またいそいそと茶飲み友達へ持って行った。

  ケーキセット 病院帰りの甘い物がヤメられません


私のモヤモヤは、

友人知人がいたのに、
呆然としただけで何もしなかったことに対するものなのだ。

私は、菓子の一つも送れる場所にいたのに。


あの時「大丈夫かな」と心配した友人一人とは今でも付き合いがある。
これって本当にラッキーなことなんだよな~と思う。

あれから25年。
 
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最終更新日 : 2020-01-18

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